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光岡眞里の「あゆみ」メールマガジン今日も元気にパワフルに!
作者:光岡眞里 2025年06月26日号 VOL.746
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早朝、一番のバスに乗った。
6月の空はうっすら明るく、雨が時々降るが車内は快適だ。
運転席のすぐ後ろ、いつも位置に立って手すりをつかむ。
運転手が、ぼそぼそと何かを話している。
声をひそめているのではなく、ただ淡々と、小さな声で。
運転席のすぐ背後、料金箱の前に若い男性が立っていて、その人に話しかけている。
年の頃は20代後半かな。背筋がまっすぐで、緊張気味にうなずいている。
左のミラー、右のミラー、バス停への寄せ方、大型車の追い越しのコツ。
そういうのをレクチャーしているようだ。
どれも、毎日何気なく乗っていたバスの運転に、こんなにも細かく、こんなにも丁寧な「考えるべきこと」があるのだと気づかされる瞬間で、思わず耳を澄ませていた。
指導する運転手の顔はミラーで確認できた。
その目と語り口に、妙に優しさがにじんでいて、心地よい。
ただの業務の引き継ぎではなく、人と人の仕事の“襷”を渡すような行為に見えたからだ。
技術だけでなく、「この仕事を好きでいてほしい」というような感情が混ざっていたようにも思う。
日本のバス運転手の平均年齢は55歳近くになっているという。
若手の参入は鈍く、定年退職は加速している。2030年にはいまより15,000人ほど少なくなるという試算もある。
全国のバス路線の減便、さらには廃止が増えている背景には、そんな現実が横たわっている。
私たちは気づかぬうちに、バスというものがいつでも、どこでも、当たり前にそこにあると思っている。
けれど、それを“走らせている人”のことは案外知らない。
長時間の不規則勤務、休憩も満足に取れない労働環境、そして人手不足による負荷の増加。
そんな現場の厳しさが、当たり前の日常の裏側にある。
けれど、今朝の光景は、そんな日本の交通の静かな危機を少しだけ明るくしてくれた。
指導を受けていた青年は、バスが停まるたびにミラーを見て、周囲を確認していた。
降りていく乗客一人ひとりに、「ありがとうございました」と声をかけ、丁寧にお辞儀をしていた。
その姿は、バスという“仕事”が、単なる運転ではなく、“誰かを目的地に送り届ける仕事”なのだと教えてくれる。
いま、女性ドライバーも少しずつ増えている。
まだ全体の3%ほどだが、地方のバス会社ではその割合が7%を超えるところもある。
国は外国人の採用にも道を開こうとしている。
人が足りないという現実が、じわりじわりと制度を動かしている。
でも、制度の変化以上に必要なのは、たぶん“気持ち”なのだと思う。
「この仕事は誰かの人生に関わっている」という実感をもてるかどうか。
たぶん、今日もこの国は、かろうじて誰かの手によって、静かに守られている。
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