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光岡眞里の「あゆみ」メールマガジン今日も元気にパワフルに!
作者:光岡眞里 2026年07月23日号 VOL.802
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時々ランチに行く店の本棚に、一冊の文庫が並んでいるのを見つけた。
「アルジャーノンに花束を」。
懐かしさに、思わず手に取った。随分昔に読んで、ただ涙した記憶だけが残っている一冊だ。何十年ぶりだろうか、開いた冒頭のページには、プラトンの言葉が引かれていた。
物語の主人公チャーリイは、知的障害を持つ32歳のパン屋の青年である。「賢くなりたい」という一心で、脳の手術を受ける決意をする。すでにネズミのアルジャーノンに施され、成功していた実験だった。手術を受けたチャーリイの知能はぐんぐん伸び、やがて周囲の誰よりも聡明な存在になっていく。だがその代償のように、これまで見えていなかった人の悪意や、自分がかつて受けていた仕打ちの意味が、痛いほど見えてくる。そして、先に手術を受けたアルジャーノンに異変が起こり始めたとき、チャーリイは自分を待つ運命を悟ることになる。
パラパラとめくって、そういう話だったと思い出す。
冒頭で引かれていたプラトンの言葉は、光の中から暗闇へ入った者と、暗闇から光の中へ出てきた者、どちらも一時的に目が眩んで、ものが見えなくなる、というものだった。
だから、誰かの目の混乱を見て安易に笑うものではない、その人が暗いところから来たのか、明るいところから来たのか、確かめてから笑えばいい、と。
この一節を読んで、箸を置いた。スマホにメモするためだ。メモの内容はこうだ。
私たちはつい、賢さや知識の量、できることの多さを、そのまま幸福の量だと思い込んでしまう。けれどチャーリイの物語が突きつけてくるのは、知性が上がることと、しあわせになることは、決してイコールではないという事実だ。知れば知るほど、見えてしまうものがある。わからなかったから、傷つかずに済んでいたこともある。
しあわせとは、いったい何だろう。
何かを「できるようになる」ことなのか、それとも何かを深く「わかる」ことなのか。あるいは、できることが少しずつ失われていく中にも、なお残るものがあるのだとしたら、それは何なのだろう。
そんなことを考えていて、ふと我が身を振り返る。
最近の私は、すっかりAIの虜である。資料を作るにも、考えを整理するにも、もうAIなしでは仕事が回らなくなってしまった。手放せば途端に不便になる。
だが、よく考えてみれば滑稽な話だ。上がっているのは私の能力ではない。頭がよくなったのは私ではなく、道具の方なのだ。
チャーリイは自分の脳に手術を受けて聡明になったが、私は自分の外にある頭脳を借りて、聡明になったふりをしているだけだ。
チャーリイは、光の中と闇の中、その両方を知った人間だった。だからこそ彼の物語は、私たちに問いを置いていく。
今、光の中にいるのか、闇の中にいるのか。そしてその光は、本当に自分自身のものだろうか。そのどちらにいても見失わずにいられるものは、自分の中にあるだろうか。
おわり。
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