「洋ナシ」

夕方、携帯に電話があった。広島からだ。ちょっとびっくりした。元生徒様で、夏に広島で食事の約束をしたんだけど調子が悪いからと、ドタキャンだった。鬱で症状が安定していないから「きつい」と私に訴えてきたのがすごくショックだったのを覚えてる。弱音を吐くような紳士じゃなかったから。

「まあ!お久しぶりです、お元気でいらっしゃいますか?」

なんとなく聞き取れるけど、ろれつがまわってなくて聞き辛い。倒れて、市内の病院に入院したとか。恐らく、後遺症でうまく喋れないんだろうと予想はついたけど、直接わたしに電話してくれるなんて。

「大変な中、よく私に電話してくれましたね。声が聞けて嬉しい。」「みつおか親分には知らせておかないとと思ってね」「しっかりして。洋ナシなんかになっちゃだめよ」

私のメールマガジンをもう何年も読んでくれて、脳若を始めた頃、介護施設を紹介してくれて一緒に行ったこともある。時々メールや手紙でメルマガの感想が来るんだけど、その文末には必ず「洋ナシ」と書いてある。自分は酒蔵の息子で若いころ広島の中心地に来て一から開業医を始めた、業界では色んな世話役をしてきたけど引退して自分の立ち位置がだんだん変わってきた、世の中からもう「お前に用はないよ」と言われているみたいだと言っていた。

広島では美味しいお寿司屋さんで美味しいお酒を一緒に何度も飲んだ。「流川大学には随分学費を払ってきたよ」という言葉が耳に残る。家族関係の悩みも少し聞いたりして(私だから言えるんだろうな)心配していたんだけど、おそらく、調子が良い時を見計らって私に電話してきたんだと思う。

私、たぶんもうこの方に会わない。そう感じた。ここからは家族の領域だから。

私の仕事って何なんだろう?いつも思う。

シニアパソコン教室をはじめて3年目くらいの時だったか、突然亡くなられた生徒さんの息子さんから電話がかかってきて、「父は良い時間を過ごしたと思う、ありがとうございました」と言われた時、私の仕事ってもしかして意味があるのかなってその時は心底思った。

創業して16年たつが、自分の仕事はエゴだと悩んだこともあったし、良い人ぶるのはやめようとも思ってきた。色んな人が過ぎ去っていった。「介護ではありません、予防です」と言っている以上そこからは専門分野だし他人の私が介入すべきではない。どんなに偉くて立派な人でも医療や介護のお世話にならざるを得なくなったとたん、否応なく丸裸になるんだけどね。

「自立できるその日まで」

私のエンドユーザーとのかかわり方、今一度はっきりしたと思う。
対等に、尊敬しあえる関係。まだ教えてもらうことがいっぱいある。

よって、自立の時間を長くすることが使命なわけだ。

「退院したら電話して。食事でも行きましょう」

これが最後の言葉でした。
まだわかんない。
行けるかもよ!
人生100年なんだから。

おわり